気まぐれ日記 2012年1月
2011年12月はここ
1月1日(日)「かーは宇宙人・・・の風さん」
元旦はうす曇りの陰気な幕開けだった。
昨夜友達と年越しをした次女も帰宅していたが、部屋で熟睡中。昨年末の飲み会の鳥刺しが原因の食中毒の後遺症がまだ残っているという。
いつも地元の親友と部屋で年越しをする長男は、親友が上京しているため一人で、普通に寝ていてまだ起きて来ない。
仕方なく、夫婦だけでおせちをさかなに日本酒をいただいた。ま、一次会か。
早くも年賀状が届いて、チェックすると、出していない人もいたので、すぐに追加印刷した。
午後は、恒例の地元の神社に二人で初詣。
風はほとんどないが、気温が低く、寒さが身にしみる。
拝殿前で写真を撮っている人たちがいた。同じ団地に住む一家で、息子さん夫婦には赤ちゃんも生まれていて、私より若いがおじいちゃん、おばあちゃんになっていたわけだ。
大家族がそろって元旦に記念写真とは、何とも良い光景だ。
帰りに印刷したばかりの年賀状を投函し、コンビニで長女のためにアイスクリームを買った。
夕方、長女が帰省してきて、やっとお雑煮を食べる態勢になったが、次女はまだ寝ていた。
お菓子もたくさんあって、あれこれつまんでいるうちに、ようやく家族5人が顔をそろえたので、焼き肉の準備を始めた。上等な牛肉が、この日のために冷凍保存してあった。
しかし、美味しい肉を食べることよりも、私は、昨年暮れに母を入院させるまでの顛末を子供たちに話す使命感に燃えていた。子供たちにとって祖母にあたる人の一大事を、きちんと説明しておかなければならないからだ。
焼き肉を始める前から、話し出した。2月18日の心筋梗塞からだ。しかし、認知症発覚や、震災中の介護の苦労などは簡単に済ませ、昨年11月頃からの母の異常な行動あたりからしっかり説明した。
準備が整ったので、牛肉を焼きながら、そしてそれぞれが思い思いのドリンクを手にしながら、私の話を聞いてくれた。
どんどん牛肉が焼けて、私の皿へも運ばれてくるが、味わっている余裕は全くなかった。
最後に、母を入院はさせたが、問題の症状がなくなっても、基本的な認知症は治らないので、元の一人暮らしには戻れないだろうということと、じきに孫たちの顔と名前も分からなくなってしまうだろうということを伝えた。
子供たちには、後日、私たち夫婦が読んで共感した、橋幸夫の『お母さんは宇宙人』を渡すことになる。
母は孫たちができたとき、自分を「おばあちゃん」と呼ばせるのを嫌って「かー」と呼ばせた。だから、私たちの場合は、『かーは宇宙人』となる。
1月2日(月)「初仕事のハガキ随想・・・の風さん」
今日は朝から晴れていたが風が強い。
母を入院させてから、頭の中は母のことでいっぱいで、天気が快晴になっても、気分は晴れない。
愚痴になるから書いてはいけないことかもしれないが、母を入院させた後は、兄夫婦にバトンタッチで、二人に大いに期待していた。これまで事情があってできなかった母の介護を、挽回させる絶好のチャンスだと思っていたからだ。ところが、期待外れもいいとこで、動きが鈍い(私の期待が大きかったこともあるが)。
一番気に入らなかったのは、母を気違い扱いしていることだった。
今朝になって、そのことをワイフに話すと同時に、ようやく母の異常行動が実は認知症の一つの症状に過ぎないこと、そしてさらに認知症とは、人間が老化してあらわれる普通の状態の一つ(つまり白髪や皴などと同じ)だと思えるようになったことを説明した。
それが分からない兄夫婦に対する不満をワイフに訴えたら、今夜岡崎の(ワイフの)実家へ行こうと提案してくれた。義母が長年ヘルパーをやっていて、私の考えを最も理解してくれるはずだというのである。
一も二もなく同意した。
出発前に、日本推理作家協会のハガキ随想を書き上げた。
これが今年の初仕事のようなもので、私はあらゆることに手がつけられない放心状態だった。
外出から帰ってきた次女も一緒だった。長女は昨夜名古屋へ帰っている(今日は仕事)。
義父母に母の入院までの経緯を話し、その後の自分の混乱した心理状態を語ると、はたして義母は理解を示してくれた。そして、退院後も私がしっかり面倒をみた方がいいと、いくつかの方法も助言してくれた。
帰りに、夕方書き上げたばかりのハガキ随想を投函した。
タイトルは『決して異常なんかじゃない』である。
1月3日(火)「読了第1冊目・・・の風さん」
入院した翌日から、兄が毎日母へ届け物(衣類や身の回り品など)をし、直接母と話をして、その様子などを電話で教えてくれる。病院の食事にはいくらか箸をつけてくれているが、薬をすんなり飲んでくれないし、着替えもしないし、すぐ帰ると主張し、相変わらず幻聴に支配された言動をしている。
相当に手ごわい症状である。これは認知症が著しく進んでいるというよりも、母の強い気持ち(性格)がなせるわざだと思っている。正常な人なら、意思が強いとか強情とか勝ち気とか言って表現されるものだ。
きれいな言い方をして「チャレンジ精神が旺盛な」私にも、多分にそのDNAは引き継がれているのだろう。そうでなければ、58歳にもなって、まだまだ自分は成長できるのだと、こんなに粘り強く頑張れるはずはない。
ちなみに、勉強好きは父譲りである(母は勉強嫌いの天才肌)。
話は脱線したが、トレーニング不足と精神的なダメージのために、年末から体調がよろしくない。
今日は気温も上昇して穏やかな空模様だったので、年賀状の投函も兼ねて、コンビニまで散歩に出かけた。
ひたむきに歩いたので、あっという間に帰宅してしまった。
毎年読書記録をつけて、多忙のために読書量が著しく減らないようにしている。
今年の読了第1冊目は今日である。
1月4日(水)「がんばろう福島!・・・の風さん」
勤務地の図書館から借りた2冊の本の返却日が今日だった。
期限は2週間で、延長は1回しかできない。一度返却してまた借りた本の2回目の返却期限である。
ということは、通算4週間借りていたのだが、その間、全く読めないでいた。
参考文献に相当するもので、S社の原稿に反映させる予定だったものだ。
とうとう購入する決断をした。1冊は新刊を、もう1冊は古本をネットで注文した。
朝刊を読んでいて、また憤慨した。神経がカリカリしているので、ささいなことでも腹を立てる。
スポーツ記事である。
全国高校サッカー選手権に出場していた福島県の尚志高校が、ベスト8進出である!
東北地区でも決してトップクラスではないのだが、全国大会でベスト8はすごいことである。
もう一つは、箱根駅伝での東洋大の新記録による完全制覇である。チームの牽引車は、有名な柏原選手だ。彼も福島県出身なのである。東日本大震災の発生で、毎日サッカーがやれる幸福と地元への恩返しを強く意識していると試合前から話していた。さらに、酒井監督も同じ福島県いわき市の出身なのである。
被災地の人々は、日々くじけそうになる気持ちを奮い立たせるため、こういった地元の代表ともいうべき選手たちの活躍を心の底から応援しているのだ。
マスコミはその気持ちを理解して、尚志高校のベスト8や東洋大の優勝を大きく取り上げるとともに、東日本大震災でまだ精神的なダメージを抱えている人たちへエールを送るべきである。
(もっとしっかり書けよ!)
それが私の偽らざる気持ちだったのである。
夕方、図書の返却を兼ねて買い物をして帰宅したら、兄から電話があった。
コーヒーとカステラを差し入れした兄は、だいぶ母の介護に慣れたようで、母の症状は相変わらずだったが、兄の声の調子は快活だった(それはそれで私にはうれしいことである)。
被災地の人々ほどではないにしても、私も精神的なダメージを当分引きずりそうだ。
1月5日(木)「尚志高校、ベスト4進出!・・・の風さん」
週末のビジネススクールが近付いてきたので、昨日、事前課題レポートの内容をチェックしたら、すぐ手をつけてもできそうもないくらいの難度と分量だった!
今日はまだ正月休みだったので、行けるまで行こうと考えて、徹夜態勢で取り組んだ。
今朝の5時まで頑張ったところで、エネルギーが切れた。
5時半から10時半まで5時間睡眠をとった。
それからすぐ続きをやるわけにはいかなかった。雑用もたんとたまっていたからだ。
屋外のタンクに温風ヒーター用の灯油を入れた。長女の部屋に押し込んである私のガラクタを少し片づけた。
気持ちがスッキリしたので、それから原稿に取り組むことにした。母のことがあってから、とても原稿には手をつけられなかったが、そろそろ復帰しなければならない。
原稿が一段落したところで、ようやく事前課題レポートに取り組むことにした。
……と、ネットでニュースを確認したら、福島県の尚志高校がついにベスト4に勝ち進んだことを知った。
ばんざーい!
明日から会社が始まるが、今夜も徹夜態勢で事前課題レポートに取り組むことにした。
1月6日(金)「事前課題レポートがピンチ・・・の風さん」
完全徹夜はできなかった。しかし、睡眠は書斎である。
それでも、いちおう日常が帰ってきたことになる。
研修所に出社した。年末に席替えがあって、周囲の風景が変わっていた。
昼前に本社へ行き、所属するセンターの年賀式に出席した。意外なほど平和なムード。
昼食後、研修所へ戻り、研修所の年賀式に出席した後、少し会議に出てから、旧職場へ向かった。旧職場の年賀式に出席するためである。
ところが、研修所を出発したのが少し遅かったのと、途中の道が混雑していたため、とても間に合わない時刻になってしまった。
そのまま家路につくことにした。
ミッシェルに給油して帰った。
事前課題レポートが全くできていないので、今夜も徹夜を覚悟した。
しかし、眠い。
1月7日(土)「人の縁・・・の風さん」
ビジネススクールの事前課題レポートの課題は、大きく言って3つである。そのどれもが、いつものように初めての経験だった。今回もどうやって準備するか、戦略も戦術も、方針すらも立たず、悶々としていた。母のことで頭の中がいっぱいだったからだ。
それでも、どんなに出来が悪くても、これだけは提出しなければならない。そうしないと受講が始まらないのだ。
昨夜10時過ぎに、ようやく一つの課題を仕上げた。損益計算書の作成だった。緻密に作成する実力はまるでない。とりあえずの「やっつけ仕事的」損益計算書である。
続いて、事業計画書のエグゼクティブサマリーが2つだったが、これらもどのように書いたらいいか分からなかった。
午前零時までに、とりあえず1件、ネット上にあったフォーマットに記入してみた。遠目にはカッコ良いものができたが、中身がいいとはとても思えない。インパクトがないからだ。私の嫌いな美辞麗句を並べる必要があるのだろうか。分からない。
2件目も同じフォーマット上に記入してみたが、どうも違う気がする。事前課題レポートで求めているのは、こんなことではなさそうだ。
日付変更線をまたいでから能率は一気に落ちた。
例によって書斎の床でぶっ倒れ、1時間眠りに落ちて、それから慌てて飛び起きて、またパソコンにしがみつくようにして続きをやったが、やはりどうしたらいいか分からず、いたずらに時間が過ぎ去っていった。
未明に、眠気覚ましにシャワーを浴びて、2件目の補足説明資料を作成・印刷したところで、体力的に限界がきた。
また、書斎の床で1時間ぶっ倒れた。
こうして、ようやく7日がスタートしたわけだが、事前課題レポートだけやっていれば、講義を受けられるわけではない。
カバンに資料をどっさり詰め込んで家を出て、結局、電車の中で今日の分の資料に目を通すことになった。
キャンパスへ突撃する前にブラックコーヒーを買って、居眠り防止の手も打った。
講義中に母を入院させた病院からケータイに電話が入ってびっくりしたが、昼休みに兄に電話して確認すると、本来兄に電話すべき内容だったので、とりあえずは安心した。
そんなこともあったが、とにかく今日のノルマを何とかこなして、午後7時半に講義が終了した。
実は、今回の講師は、私と少なからぬ縁のある方であることが、1週間ほど前に判明していたので、そこで初めて自己紹介した(もちろん小説家としてである)。
講師も大変驚かれていたが、一期一会とはいうけれど、人の縁はとても大切なことで、それが継続できればもっと素晴らしいことなので、今後ともよろしく、と心から今回の出会いを祝福し合うことができた。合掌(数珠を握った気分で)。
最近、母のことで気持ちが落ち込むことが多かったが、今夜はとても爽快な気分になったので、御座候(大判焼きの小型タイプ)を買って帰宅した。
しかし、浮かれてお菓子を買って急いで帰宅してはいけなかったことが、明日わかることになるとは、このときは夢にも思わなかった。
1月8日(日)「会費がパァー・・・の風さん」
午前中の講義の休憩時間に「今夜の懇親会に参加する人は、手を上げてください」という受講生がいた。幹事を志願してくれたのだ。
しかし、待てよ。昨日の懇親会の受付と会費徴収は何だったのだ?
近くの受講生たちに聞いてみると「同時開催している他の講義出席者も含めた合同の懇親会じゃないか」とのことだった。
それなら、今夜の懇親会には当然出席して、合同の方はキャンセルしようと思った。
それで、午後の休憩時間に事務室へ行って、その考えを伝えると、事務室の人たちはキョトンとした顔をして私を見返すのである。
どうしてか分からなかった。
が、二言三言会話をしているうちに、真相が判明した。
「え? 昨夜、懇親会があったのですか?」
大学院のHPの掲示板に詳細は出ていたのだと言う。
会社でも掲示板は見ない(見ている余裕はない)、メールも未読で画面は真っ赤になっている(同じく開いて読んでいる余裕はない)私である。会社より多忙な私生活の中で、大学院のHPまでチェックしている余裕はない(講義に関することをチェックするので精一杯だったのだ)。
とはいえ、浮世離れした老学生だと思われたのは間違いないので、私はしおしおと事務室から撤退した。
午後7時半に講義が終了し、それから懇親会になった。出席者の半数近くが参加した。男ばかりで下ネタも多かったが、今回は名古屋校だけでなく東京校、大阪校からの参加もあって、ワイドな交流ができた。
そして私も、ちゃっかり小説家であることをアッピールして、拙著の注文を受けたりした(笑)。
終電になったので、帰宅は午前零時ころ。さっさと就寝した。
1月9日(月)「最後はへろへろで終了・・・の風さん」
今朝も通学電車の中では参考書を読み続けた。
講義が始まる前に、早速拙著の売り込みをかけた。
ビジネススクールならでは、と言うか、今回の講義に出てきたキーワードを盛り込んだ(さすがにこの学問は実用的だ)。
手にしたのは代表作『円周率を計算した男』の文庫版である。
「書店で購入すれば750円ですが、私から直販で購入した場合、500円でサイン付と、投資としては割安になっていますが、先に行ってキャピタルゲインが手に入るかどうか保証はできません。古本屋に売った場合は間違いなく損でしょう。興味のある方は声をかけてください」
今日の講義の中心は、財務的な話が中心になった。
会社では全く経験がない。事前に勉強する余裕もなかったので(特に精神的に不安定だったし)、株価の算定や制度会計による損益計算書の計算など、お手上げだった。
昼休みに兄に電話して、昨日と今日の母の様子を教えてもらった。症状は相変わらずでガッカリしたが、食事は三度三度すべて箸をつけているそうで、一昨日の夜はカレーライスをたいらげたらしい。薬もちゃんと飲むようになったとのこと。
ついこの間まで、母のことが気になって気になってしようがなかったが、じたばたしても仕方ないようなので、今週、福島へ飛んで行くのはやめることにした。
「まかせてくれていいよ」
兄も次第に自信を深めてきたようだ。
3日目は午後5時半に終了したが、最後はへろへろ状態だった。
そのような中、文庫が全部で7冊売れたのはうれしかった(儲かっているわけではないが、新人歌手と一緒でプロモーションが大事なのだ)。
名古屋駅まで歩いて地下鉄代200円を節約した(いじましい努力)。
講義は終わったが、事後レポートを1週間以内に提出しなければならない。
1月10日(火)「初めてのA・・・の風さん」
福島行きをやめたので、今週は会社の仕事をしっかりやろう。
午前中に作業付きの打ち合わせを1件。午後は短い会議と長い会議で終わってしまった。
これじゃ、自分の作業はできない。
昼休みに五大路子さんへ、ビジネススクールで起きた不思議な縁についてケータイで報告した。
今日の成果はそれだけか(笑)。
最後の会議が終わったら、もう午後7時近くなってしまったので、さっさと退社した。
夕食後、疲労で何もできそうもなかったので、郵便物を二つこしらえた。明日の朝、投函しよう。
名商大のホームページにログインして、自分の成績をチェックしたら、3科目目の成績が出ていた。
な、なんと初めての「A」である。うれしい。すっかり自信を失っていた経営学の科目だし、同じクラスの皆の優秀さに圧倒されていたので、「A」が取れるなんて奇跡以外の何物でもない。
1月11日(水)「不採用通知・・・の風さん」
今日は、午前中、たまっていたメールを処理した。それだけで午前中が終わってしまうのだから、いかにたくさんたまっていたか想像できるだろう。
途中でケータイに着信があり、母の入院している病院からだった。
この間の例もあるので、昼休みに兄貴に電話してみたが、兄貴には電話はなかったそうだ。それでも、兄貴が病院へ問い合わせてくれて、真相が判明した。インスタントコーヒーがなくなったので差し入れてほしい、というものだった。
先日は着替えのズボンを持ってきてくれ、というものだったが、兄貴のケータイと私のケータイの番号を取り違えていたという。なんともお粗末な話。愛知県からインスタントコーヒーをすぐ持っていけるわけないだろう。
午後、二つの会議があって、それで定時になってしまった。
定時後は、研修所の鏡開きで、食堂でお汁粉をいただいた。
帰りに灯油を購入して帰宅した。
着いてすぐワイフが、「大学から書留が届いているよ」と緊張した表情で教えてくれた。
教員採用に応募した2つのうちの1つの大学からだった。
可能性がないわけではなかったので、内心「やったかな」と思いつつ開封してみたら「不採用」通知だった。
やはり現実は厳しい。
1月12日(木)「仕事はめぐる・・・の風さん」
久しぶりに通勤途中で大きな郵便局の横にあるポストに郵便物を投函した。通勤距離はけっこうあるが、道路わきにほとんどポストが見当たらない。結局、少し迂回してここに投函するしかないのだ。
今日は朝からやろうと思っていた仕事があった。好きな分析作業である。しかし、他に気になることがあると落ち着いてできないので、こまごましたことの処理に先に取り掛かった。これは誰しも経験のあることだろう。そして、そのままはまってしまって、最初にやろうとしていたことができなくなってしまうのも、よくある話だ。
今日も結局そうなった。
某学会からの依頼が正月休み中にあって、橋渡し役として、その依頼をしかるべきマネジャーへ受け渡した。スムーズに行くようにサポートしたのは言うまでもない。
マネジャーは、重要な依頼だと判断し、トップへ相談した。私でもそうするだろう。
トップの判断がどうなるかは、ちょっと予想がつかなかった。あらゆる検討項目について把握しているのがトップなので、私に分からないのは当然だ。
トップ判断は予想外のものだった。
依頼を受けて、対応する者として私を指名したのである。
トップのコメントをマネジャーから聞いて、おおっと納得した。最適解ではないように思うが、論理は完璧だった(笑)。反論の余地はない。
直属の上司に経緯を説明し、了解を得た。そのとき、トップが社外講演で話している内容を紹介した。それを見れば、私を指名した一つの論拠が表現されているからだ。上司もなるほどとなったわけである。
予定していた仕事ができずに帰宅したので、少しヤケになっていた私は、書斎でもこまごました雑務の片付けに取り掛かった。
1月13日(金)「先んずれば勝てるか・・・の風さん」
今日は13日の金曜日だが、先勝である。13日が金曜日になる確率は7分の1なので、珍しくも何ともない。大安、友引などの六曜の中のあまり好まれていない仏滅と重なる確率は42分の1となるから、少しは珍しいか。とにかく今日は先勝である。先んずれば勝つという意味だから、たくさん仕事を抱えているくせに仕事がのろい私には、重要な意味がある。
しかし、実行は難しい。
講義後1週間で提出が義務付けられているレポートができないまま、定時後の職場の歓送迎会へ出かけた。本当は、レポートの目処がついての出席にしたかったのだが、できなかった。
昨年の忘年会でヘマ(帰りの電車を乗り過ごしたこと)をした近くの開催場所だった。深酒は厳禁である。
ビール1杯とワイン1杯でも、かなり酩酊してしまった。かなり体がまいっているのだろう。
北風の中、電車を乗り継いで、何とか我が家へたどり着いた。
家でゆっくりしている間に酔いが醒めてきたので、行けるところまでいこうと、徹夜体制でレポートに取り掛かった。
1月14日(土)「久しぶりにリアリティを感じた・・・の風さん」
午前6時過ぎまで頑張ったが、完成までの道のりは遠かった。
3時間ほど仮眠してから、また続きをやった。我ながら、よく根気が続くと感心する(笑)。
話題を変えよう。
全国高校サッカー選手権で、福島県代表の尚志高校は準決勝で敗退したが、福島県代表初のベスト4という素晴らしい成績を残した。彼らが活躍している間、どれだけ福島県民に勇気を与え続けたことだろう。どれだけ拍手してもしきれない。
夕食後、録画してあったNHK大河ドラマ「平清盛」初回分を、ワイフと次女が見始めたので、私もつられて画面に見入った。
やや誇張しているのだろうが(劇画的ではあるが)、圧倒的なリアリティ(きれいなセットや衣装、化粧は興ざめする)に思わず両手を握り締めた。そして、その画面と調和した、中井貴一や伊東四郎らのパフォーマンスに心を揺さぶれた。子役の演技力も見事だった。
見終わった後、我が家の内部が湿っぽくなり、さらに埃っぽくなったような感じがした。
1月15日(日)「事後レポートを投函・・・の風さん」
午前11時起床。久しぶりによく寝た……気がする。
事後レポート、いくら何でも今日中に仕上げて投函しなければならない。そういう意味で、体力を補う充電……じゃなかった疲労は少しは回復させることができた。
午後、地元の図書館に行ってきた。2月、3月と大阪で開催されるイベントの情報を届けてきた。3月のイベントは、私が主催している文章サークルの遠足(笑)として実行するかもしれない。このイベント情報は、後日、ここ(HP)でも掲示しよう。
事後レポートを書き上げたのは午前零時過ぎだった。いつものことながら、自分の仕事ののろさというか実力不足というか、あるいは仕事が丁寧過ぎるというか、よく分からないが、ため息が出た。
印刷をして封筒に入れ、それからミッシェルで出かけた。
とんでもない時刻だ。
外は静謐な夜が支配していた。風もなく、動くものとてない。
地元の郵便局前のポストへ投函したのは、午前1時半過ぎだった。
とりあえず達成感。
ところで、今日は勉強会の日だった。例年通りの新年会が代々木八幡で開催されたのだろうか。
結局、就寝は午前3時過ぎになってしまった。
1月16日(月)「旧職場・・・の風さん」
旧職場に出社した。
昨年末に自分でできなかった会社のパソコンの設定変更をした。ほとんど同僚がやってくれていたのだが、残っていることがあったのだ。
そのパソコンに保存してあるデータ(資料)を研修所へ送る準備もした。送るといってもメール添付ではない。会社のサイバー空間に暫時保存しておき、明日、研修所でダウンロードするのだ。
あと、急に発生した3月の会社の仕事の準備を進めた。これは研修所というより、旧職場に所属している人間がやるべき内容なので、そういう分類にしておこう。仕事というものは、こういった定義付けが重要だ。
そうこうしているうちに、研修所へ移動するには遅くなりすぎたので、今日は旧職場から直帰した。
1月17日(火)「セクハラなんて・・・の風さん」
研修所で定時後にコンプライアンスの勉強会があった。
ズバリ言って、中年以後のマネージャークラスのためのセクハラ防止教育である。
現在問題になりそうなことの多くは、以前は問題ではなかったので、私にすれば、非常に気に入らない。住みにくい世の中だと思う。仕事とはいえ、そんなことまで気にしていたら、厳しい競争の中で勝っていけないだろう、と思ってしまう。
しかし、こういった考え方そのものが既に時代遅れというか、引退すべき証なのかもしれない。そんな気もするが、やはり面白くない。
しかし、とにかく、もはやマネージャーは引退しているわけだから、セクハラ注意を部下たちに指導する義務はない。あとは自分だけ注意していればいいのだ。もっとも注意など真面目にすることはできない性格なので、危険ではあるが。
今日は戸締り当番だったので、帰宅が遅くなった。
最後は女性と二人きり、なんてことはあり得ないので、読者の皆さん、よけいな心配はしないように!
1月18日(水)「執筆に専念・・・の風さん」
あらゆる仕事が大ピンチである。小説家としての仕事もとうぜん含まれる。
それで、今日は有休にした(笑)。
こんなことで会社を休めるのだから、平和といえば平和。あらゆる仕事が大ピンチなんて嘘だろう、といわれれば、やはり否定できないか(大笑)。
会社を休んで執筆に専念していても、重要なメールは届くは、電話がかかってくるはで、なかなか落ち着かなかったが、それでも1日という時間を確保すればそれなりにできるものである。
いくらか進んだので、少し気が楽になった。
明日になれば、今度は週末のビジネススクールが気になってしようがなくなるだろう。=
1月19日(木)「よくある日常・・・の風さん」
出社し、気になっていた業務計画の更新に着手した。昨年暮れから年明けにかけて、あまりにも身辺慌しく、整理している余裕もなかったのだ。しかし、午前中だけで完了できないまま午後になり、会議に追われているうちに退社時刻になってしまった。今日は、帰りに灯油を購入して帰らなければならない。週に1回の私のミッションだ。
今日はうれしいことがあった。
実に久しぶりに短編小説の執筆依頼があったことだ。短編というより掌編小説だろう。枚数が少ないので。ホームページのトップページに貼り付けてあるフリーメールアドレス宛だったので、公式アドレスから、お礼とともに「もう少し詳細を知りたい」と返信しておいた。
もう一つは、来月12日(日)に予定されている近畿和算ゼミの「大阪和算史跡ウォーク」に職場の仲間が参加表明をしてくれたことだ。一関市博物館主催の「和算に挑戦」もやってみると言ってくれているので、こちらもサポートすることにした。
今日は、きわめてありふれた、多忙な会社員と小説家としての1日だった。
1月20日(金)「また眠れない夜へ突入・・・の風さん」
昨夜は疲れて早めに就寝していた。
しかし今朝は5時半起床。明日のビジネススクールの予習がまだ終わっていなかった。今回の事前課題は、量がハンパじゃなかった。
途中、6時55分発の電車で出かけるワイフを駅まで送った。
掌編小説の依頼をしてきた出版社からケータイに電話が入った。かなり企画が具体化されていたので、非常に興味をおぼえた。
兄貴からも電話があって、母の様子を教えてもらったが、特に大きな変化はなかった。私ひとりが焦っていたというのが実態で、こういうことはじっくり取り組まねばならないようだ。
寝不足だったが、今夜は眠くなっている余裕はなかった(?)。明日のビジネススクールの事前課題は、いつできるか分からなかったからだ。
1月21日(土)「6科目目の初日がスタート・・・の風さん」
今朝の4時に、事前課題がほぼ終わり(出来栄えはかなり悪いが)、それからレポートの印刷を開始した。全部で32ページである。
自宅を出発するまで、まだだいぶ時間があるので、書斎で仮眠することにした。
約2時間半の睡眠をとって出発した。
行きの電車の中でも予習のために読書に専念した。
後期6科目目の講義が始まった。冒頭で先生から「相対評価して下から1割は落第になるので、皆さん、頑張ってください」と死刑宣告に等しい言葉があった。提出した事前レポートの出来は相当に悪い。
昼食は近所の牛丼屋へ行った。
夕方、講義が終わり、徒歩で名駅まで向かおうとしたら、小雨が降っていた。仕方なく、地下鉄に乗ることにした。地下鉄代200円の節約ができなかった。
名駅からの帰りの電車は混んでいて、最初から座ることができなかった。立ったまま勉強するには、私はあまりにも疲れ過ぎていた。
1月22日(日)「二日目も大変・・・の風さん」
昨夜9時半から11時半まで寝たところで、根性で起きた。今日の講義のための事前レポートを書かねばならなかったからだ。
結局、朝まで一睡もせずレポートに専念にしたが、夜が明けかけたころ、レポートの未完成部分に対して残り時間がわずかとなってしまい、絶体絶命状態になった。かつての私なら、そこでペンを投げたと思う(現代ならPCのマウスを投げたと思う)。
しかし、そこから粘り腰を見せた。白紙で提出(あるいは授業放棄)するよりも、落第点かもしれないが、とにかく提出することを目標に、夢中でパワーポイント資料を作成した。
昨日より少ない9枚を書き上げ、急いで入浴もした。
いつもの電車に乗ろうと駅まで行ったら、ホームに知り合いがいた。偶然とはいえ、ふだんあまり会えない人と会えたので、これから続々と幸運が舞い込んでくるような気がした。
寝不足でフラフラになりながらも、少なくとも事前レポートは提出できたので、頑張った。
昼食は体力維持のためにんにく入りスープのラーメンにした。
今日は雨も降ってなく、穏やかな陽気だったので、駅まで気持ちよく歩いて帰った。
デパートで宮城の物産展をやっていたので、いつものように迷うことなく白松ヶ最中と萩の月の売り場に直行し、買って帰った。
二日連続寝不足だったので、9時半に書斎でぶっ倒れた。
1月23日(月)「『科学者の本棚』が重版・・・の風さん」
今朝の4時に書斎で起床(笑)。入浴してから、また書斎に戻って仕事をした。
今朝は会議に出席のためT製作所へ出張した。
会議後本社に移動した。
本社でも会議に出て、夕方、研修所にようやく出社したが、途中で雑用もたくさんこなした。
研修所では週末の仕事のための準備と継続中のコスト分析の続きに取組んだ。
帰宅したら、岩波書店から『科学者の本棚』(2刷)が届いていた。高価な本でもあり、まさか重版になっているとは思わなかった。
1月24日(火)「主治医のコメント・・・の風さん」
今朝また超早起きをして、6時14分発の電車で出かけるワイフを駅まで送った。これだけ早起きすれば、研修所にも余裕で早く着く。しかし、どんなに早く着いても忙しい日は忙しい。
昼休みに兄貴から電話が入った。ようやく母の主治医と話ができたという。入院当初はてこずった主治医も、どうやら手の内に入ったらしく、じっくり時間をかけてやっていきましょう、とのことだった。
結局焦っているのは私だけなのかもしれない。
何でも自分がやらなければと思いがちな私だが、しばらくこのまま任せておいてもいい気がしてきた。
今夜は灯油を購入して帰宅した。
1月25日(水)「寒さが身に沁みる・・・の風さん」
午後、みよし市へミッシェルで出張した。
風の冷たい日で、気持ちもイマイチ。
用件を終え、研修所へ向かってミッシェルを走らせているとき、ふとオフクロのことを思い出した。もし昨年末に入院させていなかったら、今頃どういうことになっていただろう。少なくとも症状が改善されているはずはなく、さらに問題が増えて、遠隔地の私ではどうにも対応できない事態になっていたかもしれない。
そうは思うのだが、いやがるオフクロを騙して入院させたのは事実だし、そのためにオフクロを激昂させたのだ。理性でどう判断しようとも、息子としてやっていいことだったような気がしない。そう思うと、ふと涙ぐんでしまうのである。
研修所で少し仕事をしてから帰宅した。
新刊が2冊同時に届いていた。
東京農工大の涌井伸二先生の『現場で役立つ 制御工学の基本』と、楠木誠一郎さんの『平清盛は名探偵』である。
涌井先生の本は、他にも何冊か持っていて、大学で制御工学を教える機会があれば使いたいと思っている。
楠木さんの本は、ずばり大河ドラマを意識して書かれた本だ。見事と言うしかない。私にもこういった世の中の動きに対応するスピードが望まれる。そのためにビジネススクールに通っているとも言えるのだが……。
今夜から明朝にかけて遅れていた執筆の挽回をするつもりだったが、ビジネススクールの予習が大ピンチなので、急遽、変更した。
サッシのしっかりした家なので、屋外の様子は分からないが、きっとまだ凍えるような風が吹いているのだろう。
1月26日(木)「旧職場にて・・・の風さん」
旧職場に出社した。
研修所で予定していた仕事ができないので、旧職場で処理して、結果を研修所へ送った。二つの拠点はクルマで1時間近くかかるほど離れているので、こういうことも起きてしまう。
昼休みには同僚と家族の情報を交換することが多い。同じ年代だと、老いた親のこと、おとなになりかけた子供のことで話題は尽きない。
専業主婦の母親だと住居地域にしっかり根をおろしているので、こういった情報は地元で入手できる。
しかし、会社で働く父親というのは、地域では異星人に近い。仕事に夢中になっているとこういった機会は生じないが、佐々木常夫さんが講演でも述べられているように、勇気をもって話せば、同じ悩みを持っている人がたくさんいることに気付く、そして貴重な助言や勇気が与えられるものだ。
人生をあらためて見つめ直しながら、今は十分にできていない小説に生かそうと思う。
1月27日(金)「冬を感じる毎日・・・の風さん」
今日も寒風が吹き荒れていた。
スーツに身をかため、電車で出発したが、そんなに遠くへ行くわけではない。
眠かったが、電車の中では、ビジネススクールの予習をした。
一橋大学の先生と駅で落ち合って、勤務先の本社へ向かった。
関係者からの聞き取り調査をするのである。
会社ビルの中の喫茶室に、二人の同僚に同時に来てもらって、昔の仕事を思い出してもらった。話を聞いていて、私も勉強になった。やはり昔の仕事は自由度があって楽しかったなあ、と思う。今の若者は楽しめているだろうか。
昼食後、近くにある会社へ徒歩で移動した。
今度は役員から同じ話を聞くのである。事業背景のような戦略的な話は、トップマネジメントの視点から語ってもらった方が、本当のことがわかる。
凄みのある話がたくさん聞けて、午前中と同様に勉強になった。最後に、いったん海外へシフトされたモノづくりが、再び日本国内に戻ってくる話を聞くことができて、感動した。やはり日本の技術力は優れているのだ。
夜は名古屋で抽選付の会社の管理職のイベントがあった。
1000人余りが出席するので、当選確率は低そうだが、豪華な賞品が魅力で、多忙でも何とか出席しようと思っていた。
ところが今年は、受付でいきなり会費を請求されてしまった。
昨年1月から出向の身分なので、毎月の会費納入が給与天引きでなくなっていたのだ。
結局、7000円支払って、何も賞品はゲットできず、おまけに帰宅してから明日の予習があるので、思い切り飲んだり食ったりもほとんどできなかった。
北風に背を押されるようにして家路についた。
1月28日(土)「3日目をかろうじてクリア・・・の風さん」
夕べは書斎で1時間ちょっと仮眠しただけで、朝までぶっ続けで事前課題に取り組んだ。出来は悪い。しかし、手ぶらで講義に出席するわけにはいかないのだ。最後は不調のプリンターをだましだまし、提出用のレポートを印刷し、バタバタと出発した。
講義室に入ったら、某社に勤めるクラスメートから、白鳳対白鳳の力のこもったトリック写真が写ったクリアケースをもらった。先週見つけて「欲しい!」と叫んだのを覚えてくれていたのだ。うれしかった。
ケースごとにグループ編成が変わるが、6科目目でだいぶ顔なじみも増えた。昼休みにそのグループでランチに外出したが、私がよく行く牛丼屋に入ったので、みんな懐の寒さは一緒なのだなと思った。
寝不足でも、仲間の協力で何とか今日のケースディスカッションを終えることができた。
雨は降っていなかったので、名駅まで歩き、昨日発見した猫めくりカレンダーの交換用セットを半額で購入した。1月も終わりに近付けばカレンダーは値下げされるのだ。わっはっは(また無駄遣いしてしまった)。
帰宅して、夕食後すぐ書斎でダウンしてしまった。
1月29日(日)「フラフラでゴールイン?・・・の風さん」
うっかり3時ころまで寝てしまった。
慌てて事前課題に取り組んだが、アインシュタインの相対性理論を無視する速度で時間が流れていった。
あと1時間しかないというギリギリのところで、また絶体絶命となった。何が何でも形を作らなければならない。白紙では講義に参加できない。焦りまくって、超いい加減な事前レポートをでっちあげた。
あわてまくってパンを口にくわえたまま家を出た……ようなバタバタぶりだった。
それでも電池式のカイロだけはポケットにしのびこませた。
行きの電車では、睡眠を補充するしかなかった。
講義室に着いて、昨日クリアケースをくれたクラスメートに拙著をプレゼントした。とても喜ばれた(欲しいと先週言ってたから)。
いつぶっ倒れるか分からない状態だったが、他のクラスメートも似たりよったりだった。老いぼれている私だけが落ちこぼれているのではなさそうだった。
昼食はパワーをつけようとラーメン屋に行った。すると、他のグループがもう来ていた。
夕方近くなって、体力がもたず、何度も気が遠くなりかけたが、先生が変化に富んだ講義をしてくれたので(ビデオを見せてくれたりとか)、かろうじて意識を保つことができた。
講義が終わり、根性で打ち上げにも参加した。これで落第していたらシャレにもならないな。
やけっぱちの私は、ビールを2杯と白ワインをグラス半分飲んで、すっかり酔っ払ってしまった。
打ち上げが終わって、外へ出ると、酔っているのに、寒さが身にこたえた。しかし、元気よく駅まで歩いた。
帰宅したら、福島の母の情報が届いていて、今日は、兄貴は病院へ行ったが、オフクロは昼寝していたそうだ。まずは、それだけの情報でも満足することにした。
就寝前に読みかけの本を読了した。たからしげるさんの『さとるくんの怪物』である。面白かった。
1月30日(月)「明暗いろいろ・・・の風さん」
旧職場に出社した。最新状況を聞いたら、期待できそうな動きがあった。研究開発部署なので、甘い話はめったにないが、かすかでも光が感じられ、私も元気が出てきた。近々、旧職場で応募したテーマが大きな賞をもらう。これも明るい話題だ。
しかし、一方で、あまりよくない話もあった。同僚から身内の不幸というか健康上の問題を聞いたことである。昨年の母の心筋梗塞以来、認知症はもとより、病気や老化の話を知人友人とすることが多くなり、こういったことが決して他人事ではなく、さらにあちこちで起きていることを知った。
今日の同僚の話も同じかもしれないが、本当につらい話で、何もしてあげられない私としては、せめて知っている話をして、皆同じような境遇にいて頑張っていると伝えるしかなかった。
帰りにミッシェルに給油して、ちょっと買い物もして帰ろうと思って回り道をしたら、目的の店が閉まっていた。しばらく閉店すると貼紙がしてあったが、つぶれたのかもしれない。寂しい。
閉店の貼紙のように、疲労がべったりと自分の体に貼り付いていて、書斎に入ってもほとんど何もできなかった。
1月31日(火)「今日は体力回復の日・・・の風さん」
久しぶりに研修所に顔を出した。雑用がたくさんあって、それらを片付けてから、継続中のコスト分析の仕事をした。
会社のパソコンも、そしてインストールしてあるオフィスソフトも旧式で、能率が上がらない。私の作業能率が上がらないのはともかく、多くの若者たちが十分に力を発揮できないこと、そして、そのしわ寄せが私たちのエンドユーザーに及ぶとしたら、もうこの会社の将来はない。嘆かわしいことだ。
腹の中ではいつものように不満が煮えたぎっていたが、終日、おとなしく仕事をしていたら、夕方ころには消耗した体力の復活が感じられるようになった。
そろそろ執筆に全力を投入しなければならない。
2012年2月はここ
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